平成初期のインディー団体のプロレスラー松永光弘選手、後楽園ホールである伝説を打ち立ててしまうww
最近は上場企業がプロレス団体を経営するとこにより、レスラーのプロモーションや活動内容にもかなり手が入り、ここ10年でプロレスは劇的に変化しました。しかし昭和後期から平成中期ごろまで咲いては散っていったインディーズの団体が数多あった事を我々は忘れてはいけません。なかでも後楽園ホールの2Fのバルコニーから1F席の選手に向かってダイブしたMr.デンジャー松永光弘選手は昭和・平成初期の気が狂ったほど熱かったプロレスの一端を示したのではないでしょうか。今日はその伝説のバルコニーダイブをご紹介します。現役時代の松永選手、有刺鉄線のイバラの冠を被り、有刺鉄線バットを振るって一心不乱に戦っていた雄姿を思い出します。いまはステーキ店の経営者として成功されていますが、成功の秘訣は持ち前のプロレスで培ったその闘志と生真面目さなのでしょう。
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